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 記紀 古文書(古志古伝) 風土記 神代文字 とは

時の政府が認めた公式文書・正史  : 漢文漢字で書かれている

記紀   =『古事記』  『日本書紀

古典三書 =『古事記』  『日本書紀』『古語拾遺
古典四書 =『古事記』  『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』(旧事紀)
六国史  =『日本書紀』 『続日本紀』『日本後紀』 
      『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録


天皇の詔で諸国に編纂を命じた文書
風土記

正史と認められていない古文書(古史・古伝) 

    : 原文は(漢字伝来以前に日本に存在した)神代文字で書かれている
    : 古文書の場合、『文書』は『もんじょ』と読むそうです。

古史三書 =『竹内文書』 『九鬼文書(クカミモンジョ)』 『宮下文書

古伝三書 =『上記(ウエツフミ)』 『秀真伝(ホツマツタエ)』 『三笠紀(ミカサフミ)』

他の古伝 =『神伝上代天皇紀』 『物部文書』 『カタカムナ
      『フトマニ』 『契丹古伝(キッタンコデン)』 『宇佐家伝承
      『東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ)』 『天津蹈鞴秘文遍(アマツタタラヒブンヘン)』

(漢字伝来以前には文字が無かったといわれる)日本の古代に存在した文字

神代文字 =『豊国文字(神宮文字)
      『ヲシテ文字(ホツマ文字)
      『阿比留文字
      『出雲文字
      『阿波文字
      『阿祖山文字』   等

 (日本各地の神社や文献に、漢字やひらがな、カタカナ、以外の系統の文字が残されています。)
 (さらに、日本以外の世界各地においても、神代文字と判別できる文字が多く発見されつつあります。)

    以下は詳細説明

よみ成立日・作者
特長
時の政府が認めた公式文書・正史  : 漢文漢字で書かれている
古事記こじき奈良時代の西暦712年

天武天皇が稗田阿礼に誦み習わせた帝紀(歴代の天皇の系譜)と旧辞(各地の氏族に伝えられた伝承)を、 天武天皇の没後に712年に進上した。
神代から推古天皇(女帝)までの(天皇家の為の)歴史書(内廷的)。
天皇の国土の支配や皇位継承の正当性を国内に示す目的で作られたといわれています。
(国内に示す為か)『古事記』は(漢文では無く)日本語の音に漢字を当てはめた「万葉仮名」と呼ばれる文字で書かれています。

編纂開始は7世紀後半の天武朝。 現存する最古の歴史書といわれています。

上・中・下巻の3巻から成り、
上巻は天地が分離したことから始まり神代の時代から天孫降臨に至るまでが叙述されており、神代の昔から葦原中つ国の支配者は天皇家であるということを強調されており、これこそ『古事記』の最大の編纂意図だといわれています。
中巻は神武天皇から応神天皇までが記されています。英雄的な天皇が多く登場します。
下巻は仁徳天皇から推古天皇までのことが記されていますが、最後のほうになると記述がとても簡単になっています。

用いられた資料は、「帝紀」(ていき)(歴代の天皇の系譜) と 旧辞(きゅうじ)(口誦で伝えられた古い時代からの伝承)といわれています。
日本書紀にほんしょき奈良時代の西暦720年

撰者は天武天皇の皇子の舎人親王といわれる
30巻と系図1巻からなり、神代から持統天皇(女帝)までの(国家の為の)歴史書(外廷的)。
唐や新羅などの東アジアに通用する正史を編纂する目的で作られたといわれています。
(国外向けの公式文書である為に)『日本書紀』は漢文を使い、中国の正史に倣った形式で編集されています。

編纂開始は(古事記と同じ)7世紀後半の天武朝。 全30巻のうち、巻1・2は神話的な「神代紀」。 巻3の「神武紀」~巻30の「持統紀」までは歴代天皇の事蹟や歴史上の事件が記されています。

用いられた資料は、古事記の「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国・朝鮮半島の史書も用いられています。巻28以降(天武紀・持統紀)は朝廷の日々の記録に基づいた記述も増えています。
古語拾遺こごしゅうい平安時代:大同2年(807年)

朝廷の祭祀を司る斎部広成
天地開闢から天平年間までの古伝承が記されている。
斎部氏は、天孫降臨に従った五部神の一神の天太玉命の子孫とされていることから、天太玉命ら斎部氏の祖神の活躍が記紀よりも多く記されている。

朝廷の祭祀の由来や変遷を主に,古事記や日本書紀と同じ系統の伝承や三蔵(斎蔵,内蔵,大蔵)の分立、祭祀における伝承などが記述されており、 多くの文献や神典にも利用・引用されているそうです。
先代旧事本紀

 (旧事紀)
 (旧事本紀)
せんだいくじほんぎ

(くじき)
(くじほんぎ)
平安時代初期に成立したとされる全10巻。天地・世界が生まれた時から推古天皇までの歴史が記述されています。「旧事紀」「旧事本紀」ともよばれます。

自然や祭祀と密接な古代日本人の精神を背景に、日本古代の歴史が物部氏の立場から記述されています。
著者は不明ながら、物部氏の一族ともいわれています。

続日本紀 しょくにほんぎ平安時代 延暦16年(797年)
菅野真道ら
文武天皇の元年から 桓武天皇の延暦10年まで95年間の歴史を全40巻から成る、奈良時代の基本史料ともいわれています。
日本後紀 にほんこうき平安時代 承和7年(840年)
藤原緒嗣 ら
延暦11年(792年)から 天長10年(833年)に至る42年間の記録。全40巻(現存10巻)
続日本後紀 しょくにほんこうき平安時代仁明天皇 の代である 天長10年(833年)から 嘉祥3年(850年)までの18年間の記録。
日本文徳天皇実録  にほんもんとく
 てんのうじつろく
平安時代 文徳天皇 の代である 嘉祥3年(850年)から 天安2年(858年)までの8年間の記録。
日本三代実録 にほんさんだい
 じつろく
平安時代 清和天皇・陽成天皇・光孝天皇 の3代である 天安2年(858年)から仁和3年(887年)までの30年間の記録。

天皇の詔で諸国に編纂を命じた文書
風土記

 古風土記
ふどき奈良時代和銅6年(713)詔

地方統治の指針とする為に、元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂した。
風土記は天皇の詔命で、諸国の地名の由来や産物、土地の肥沃の状態、伝承などをまとめさせた、日本でほぼ初めての諸国の郷土史、地理誌でもあり、諸国の人々の生活や風習・文化を知ることができる貴重な資料です。

風土記はその多くが失われ、現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残るそうです。

また、何故か、『阿波国風土記』だけは明治政府が封印し、全本を回収してしまったそうです 回収の理由は不明ですが、一説には(『阿波国風土記』だけは天地創造以来の太古の記録が詳しく記述されており)天皇家のルーツに関わる記述があったため、明治政府が問題視して回収に踏み切ったとも言われています。
もし、『阿波風土記』が出てくれば、奈良時代の権力者が捻じ曲げて記紀に書かせた歴史の本当の真相が明らかになるのかも知れません。

正史と認められていない古文書(古史・古伝)  : 原文は(漢字伝来以前に日本に存在した)神代文字で書かれている

偽書とも言われてきたが、最近のDNA鑑定の急速な進化や新たな遺跡発掘により、文書の内容が真実である事が次第に明らかにされて来ている様に(個人的には)思われます。
竹内文書

 竹ノ内文書

 竹内太古史

 磯原文書

 天津教文書
たけうちもんじょ 地球最古の書とも言われますが、古墳時代に武内宿禰(たけのうち すくね)の孫の平群真鳥(へぐり のまとり)が訳した写本群と、文字の刻まれた石や鉄剣などの「竹内文書」は第25代武烈天皇(489~507年)の勅命により、封印されてしまいました。

それから時は大きく経ち、

平群真鳥の子孫の竹内家へ養子に入った竹内巨麿によって(口伝で、代々伝わるものとして)昭和3年に公開されました。

原本は東京大空襲によりほぼ焼失
原本は神代文字で記された竹内文書では

◎150億年以上前に日本列島に異星人が飛来した。そして天皇となり、全世界を支配することになった。
◎日本を中心と高度な文明が栄え、日本から世界各地にピラミッドを建設して、祭政一致の政治を行った。
◎上古25代の時代に「天之浮船(UFO?)」という空飛ぶ船に天皇が乗って全世界を巡行していた
◎イエス・キリストの墓は青森県の戸来村に存在する。(処刑されたのはイエスの弟)
◎モーセは天皇に仕え、モーセの墓は石川県の宝達志水町に存在している。
◎釈迦をはじめマホメットなど世界の宗教の教祖はすべて来日し、天皇に仕えた。
◎ダイヤモンドより固く、永遠不変で錆びない夢の合金:ヒヒイロカネが存在した。
◎(ムー大陸やアトランティス大陸を思わせる)ミヨイ国とタミアラ国の2つの大陸が海に沈んだことの記述がある。

等々、
偽書・偽史との批判は数多く、詐欺罪、不敬罪などで逮捕、起訴された事もります。

 ( 逆に、最近のDNA鑑定の急速な進化や新たな遺跡発掘により、文書の内容に真実も有るのではないかと、個人的には思ってきています。 )

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
神武天皇からはじまる現在の皇朝(神倭朝)以前に
[1] 「上古25代」と
[2] それに続く「不合朝(あえずちょう)(ウガヤ朝)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、
[3] さらにそれ以前に「天神7代」があったとされます。
 「ウガヤ朝(不合朝)」は2750年間続いたとされます。

なお、『竹内文書』には(富士山の麓にあったといわれる)冨士王朝に関する記述は無い様です。
九鬼文書

九鬼神伝精史

大中臣文書
くかみもんじょ 高天原から高千穂に降り立った天津神の天児屋根命(九鬼家の遠祖)の時代に記録された。(原文は神代文字)

和歌山県熊野本宮大社の九鬼家に伝わる文書

原文は昭和20年の戦災で焼失
(紀州熊野の九鬼水軍の)九鬼家に到る中臣(藤原)家の神代からの系図と神々の系譜や古代出雲王朝の正統性について書かれ、聖徳太子が超古代日本史を破壊し、新たな日本史の偽造をしたとしています。

宇宙から降臨した神々の子孫が超古代の地球を支配していたとする点は『竹内文書』と共通です。 また、九鬼文書でもノア、モーゼ、シャカが日本と関係があると書かれています。この文書によると彼らは日本の神々の子孫だったそうです。

◎初代天皇は天御中主(アメノミナカヌシ)天皇
◎12代目が伊弉諾(イザナギ)天皇
◎伊弉諾天皇が白人根国(エジプト、中東)に降臨、伊駄国(イタリア)を造った。
◎月夜見(ツクヨミ)天皇の子孫が黒人根国(インド)で栄え、釈迦になった。
◎素戔嗚(スサノオ)天皇の子孫が白人根国で栄え、ノアになり、モーセ、イエスが出た。
◎大国主天皇(出雲天皇)が白人根国で生誕、黒人根国を経由して日本列島に帰還したとある。

九鬼家の九鬼文書とは別に、中臣家の「天津蹈鞴秘文遍(アマツタタラヒブンヘン)」があり、神々との交霊により超能力や霊能力を発揮できるとされる。

天照座天皇、月夜見天皇、素戔嗚天皇を「出雲三代天皇」とし、スサノオ系の大国主天皇が大陸に雄飛したとする出雲王朝系の伝承があります。

「両部神道修験熊野別当家」の内部資料が九鬼、大伴、物部、奥州安倍氏に伝来した由来を語り、出雲皇統と大和皇統の皇位・祭祀権をめぐる確執を伝える記述があります。

出雲王統と大和王統は両統迭立(交互に統治をしていた状態)であったが、神武天皇が大物主神の配下達を服属させ、長髄彦を討った。長髄彦の兄は大物主神の神宝をもって津軽に逃れたとの記述があります。

中臣系の九鬼家に伝わる文書だけに、古代日本の宗教戦争、仏教派の聖徳太子、蘇我氏側と神道派の物部氏、中臣氏側が対立した様子が生々しく記されており、この戦争(587年:丁末の乱) で超古代の神典、文献、国史などが焼失したのだと記されています。

しかし、それらの写本がそれぞれ、守屋の一族、中臣の一族、越前武内の一族に伝えられたのだそうです。守屋一族の写本は『物部文書』、中臣の写本は『九鬼文書』、武内の写本は『竹内文書』であろうと言われています。

『九鬼文書』は奈良時代に藤原不比等が漢字に書き改めたといわれています。

( 九鬼の「鬼」の字は、本来は[上部の「´」が無い字] で、「かみ」と読むそうです。  しかし、[上部の「´」が無い字] が当用漢字には無くなり、印刷物には[上部の「´」が有る]「鬼」の字を使わざるを得なくなり、「鬼」を「かみ」と読んでいるそうです。 )


(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
[第一期] は造化準備時代で23世2万3000年続きます。
[第二期] は造化時代、1世24代が13世続き、合計312代で5万年程続きます。
[第三期] は修理固成の神皇時代で1世12代が12世続き、合計144代で2万年程続きます。
[第四期] は万国統治神皇時代で、1世7代の7世続き合計49代、8千年程続き、出雲王朝の国譲りで幕を閉じます。
[第五期] はウガヤフキアエズ天皇のウガヤ朝で七十三代続き、七十三代目を神武天皇とするのは『竹内文書』、『上記』と共通です。
宮下文書

 富士宮下文書
 富士宮下古文書
 富士古文書
 富士古文献
 富士谷文書
 富士高天原朝史

 寒川文書
 寒川日記
みやしたもんじょ筆者・成立事情は不明 富士山麓の小室浅間神社の宮司だった宮下家に伝わる文書。小室浅間神社は弥生時代の崇神天皇の時代に建てられた神社といわれます。
また、文書は相模国の寒川神社にも保管されていました。

神武天皇が現れるはるか以前の「富士高天原王朝」に関する伝承を含み9千年に渡る人類の歴史が書かれています。 その一部には秦の徐福に関する記述もあります。 (もしかしたら、徐福が宮下文書を書いたのではないか?、という研究者も居る様です。)

富士山の三大噴火:[延暦19~21年(西暦800~802年)、貞観6年(864年)、宝永4年(1707年)] より古い、正史には無い記述も多く、富士山噴火史の参考にもされました。

シルクロードの彼方からやってきた神々と古代天皇の歴史の記述があります。

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
富士山一帯には、かつて超古代王朝が存在し、突然の富士山の大噴火によって消失した。

「富士宮下文書」 によれば、ウガヤ朝は51代続いたとされます。
別文書には以下の記述もある様です。

[第一神朝時代] 神々は9000年前にペルシャの北方の地に[五色の人」を創造し、人類の歴史が始まった。これには822年を要した。
[第二神朝時代] さらに1850年間、神々は此の地に留まり、人類が生きて行くための環境整備をした。 神々は2672年間ペルシャの北方に留まった。

今から6400年程前、神々は世界各地に別れた。まず「高皇産霊神」の7人の皇子が世界に別れた。

[第三神朝時代]「高皇産霊神」と皇子の内の二人が日本の富士山麓に来た。 これが日本の国の始まりであり、 合計7代の神皇で507年間続いた。
[第四神朝時代]高天原の始まり(5代488年間)

今から2700年程前、大陸から五度目の侵略があり、これに国内の反乱も加わり、日本中が争いの渦に巻き込まれた。
内乱を平定した皇太子は、神武天皇となり即位し(紀元元年)、 都を奈良の檀原に置いた。

上記

 上紀
 上津文
 上つ文
 ウエツフミ
 大友文書
 大友文献
うえつふみ序文に、 源頼朝の落胤ともいわれる豊後国守護の大友能直が貞応二年(1223)に『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した記されている。

が、じつは豊後国の吉良義風が偽作したものといわれている。
神代文字の豊国文字で書かれた41巻の書で、主に出雲王朝について書かれています。
出雲王朝史を書いた古史は九鬼文書とこのウエツフミとの2書のみの様です。

記紀では初代の神武天皇以前の歴史は「神話」として扱われて書かれてあり、闇に葬られているが、ウガヤ朝は実際は73代あり、2000年から3000年続いた王朝であった。ウガヤ朝の73代目が神武天皇であった。

以上、大和朝廷ではウガヤ王朝の第1代~第72代迄(出雲王朝)を神話にして、初代の天皇を神武天皇に改ざんしている事が記述されています。

他の内容は、産業技術、民話、民俗等が記され、中国に農業や文字を伝えたのは日本であり、日本では精密な独自の太陽暦があったことなどが記されています。

「星の神々が大鳥に乗って高天原を巡幸した」という天体観測の記述や、「ニギハヤヒら十神が磐船で天降りした」との記述があります。

 現存する『上記』の写本には、宗像本系と大友本系との2つの系列があります。

サンカ(山窩)集団はスサノウの命とともに出雲に渡来した漂泊の山の民ですが、彼らは出雲王朝に忠誠を誓い、ウエツフミの歴史をサンカ文字で継承したそうです。

このウエツフミは大和朝廷にまつろわない漂流の民サンカが伝える出雲王朝の挽歌であるとも言われています。

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
ウガヤ朝が七十三代続き、七十三代目を神武天皇とするのは『竹内文書』、『九鬼文書』と共通です。

『上記』には、宇佐神宮の在る大分県宇佐市に存在した謎の古代巨石文明が「ウガヤフキアエズ朝」であると書かれているそうです。

[個人的] 宇佐神宮は、(強大な権力を誇った)弓削の道鏡でさえも宇佐神宮のご信託により天皇になれなかった「道鏡事件」は有名ですが、個人的な疑問で、何故その様な権威が宇佐神宮に在ったのかが疑問でした。
しかし、宇佐神宮が(初代天皇の神武天皇の以前の王朝の)ウガヤ朝に大いに関係する神宮であるのなら、その宇佐神宮の権威にも大いに納得できます。
秀真伝

 秀真政伝紀

 ホツマツタエ
ほつ ま つたえヤマトタケルの遺言に従い、オオタタネコが父である景行天皇に景行56年(西暦126年)に奉呈された日本最古の古典文献であり、古事記の編纂年・西暦712年と比べても約600年ほど前の文献といわれます。

写本は江戸時代に(クシミカタマ78代?の子孫である)三輪家に代々家宝として引き継がれた写本で、50年前に発見
漢字が伝わる以前の日本にあった神代文字の一つである五七調の「ヲシテ」文字(ホツマ文字)でつづられ、古事記や日本書紀よりも古い書物といわれる。

『ホツマツタヱ』は、『まことの中のまことの言い伝え(真の中の真の言い伝え)』の意味で、『正式の伝記・正式の歴史書・正史』という意味となります。

3巻40章、全1万行、約12万文字で成り立ち、約3万2千文字の古事記、約5万4千文字の日本書紀と比べると2~3倍の文字数があります。
記紀の「原書」では無いかと評価する研究者も多いようです。

『古事記』や『日本書紀』では、ワニを動物として描写していますが、ホツマツタエではワニを「帆を持った高速船」として説明しています。 (対馬では今でも大型の舟をワニ、小型のをカモと言うようです)

記紀にはまったく出てこない富士山が「ホツマツタエ」には登場する等、日本の真の歴史を伝える書物であると考える研究者も多く、縄文時代から受け継がれている日本人の物の見方、考え方を理解できる書物であるともいわれます。

七夕、ひな祭り、七五三、 お彼岸やお盆、七草粥、60進法の古代暦(太陽太陰暦)、祖先崇拝、四十九日や命日のお祀りなど、ホツマツタエには記述されています。

ホツマツタエでは(「欠史八代」と呼ばれ、記紀には記述が無い為に架空の天皇といわれていた)2代目から9代目までの天皇の詳細な業績が記述されています。

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
特に超古代の王朝についての記述は無い様です。
天地開闢から神代そして初代の神武天皇を経て、12代の景行天皇の56年までが記述されています。
三笠紀

 三笠山紀

 神載山書記

 ミカサフミ
みかさふみ成立時期は厳密には不詳ながら、景行53年8月1日、ホツマツタヱと同時に景行天皇に上呈されたとされる。
江戸時代に書写
『ホツマツタヱ』と同様の「ヲシテ」文字(ホツマ文字)でつづられ、五七調の長歌体で記され、全64アヤ(章)で記述された日本の古文書です。
研究者によると、『古事記』『日本書紀』と「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」の同内容の箇所を精密に照合することによって、「ミカサフミ」は記紀の原書である文献であると主張されているそうです。

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
現時点では古代王朝に関する詳細は不明
神伝上代天皇紀

  上代天皇紀
しんでんじょうだいてんのうき

『ウエツフミ』『竹内文献』と同様に神武天皇以前の古代王朝か記述されています。

『古事記』、『日本書紀』の中では、神武天皇の父とされている鵜葺草葺不合命が、『ウエツフミ』、『竹内文献』」、『神伝上代天皇紀』などの中では神武以前に何代か続いた王朝の始祖とされています。

『ウエツフミ』や『竹内文献』とウガヤ朝の代数が全部で72代であるという点が一致しているだけで他の内容(天皇の御名、宮都の場所、山陵地など)はまったく別で、女帝もわずか2名のみで、その代に相当する天皇は『ウエツフミ』や『竹内文献』では男帝になっています。

(初代:神武天皇以前の)古代王朝の記述の有無
『ウエツフミ』『竹内文献』と同様に神武天皇以前の古代王朝か記述されています。

『ウエツフミ』や『竹内文献』とウガヤ朝の代数が全部で72代であるという点が一致している
物部文書

 物部秘史
もののべもんじょ成立年代、編者は不明。
仏教伝来の時、崇仏派の聖徳太子、蘇我馬子と、排仏派の物部氏、中臣氏が争った(587年・丁末の乱)。
争いの結果物部氏側は破れ、物部守屋一族は東北地方へ落ちのびた。

争いに敗れた物部守屋の子、那加世(なかよ)は当時三歳であったが、秋田地方へ亡命した。そのとき那加世が持参した古代史料の写しが『物部文書』であり、 (那加世の子孫である)物部氏が代々神職をつとめる秋田県協和町の唐松神社に所蔵されている。

『物部文書』には『古事記』にはない創造主神が登場する。また物部氏の祖であるニギハヤヒの鳥海山降臨説が書かれている。
他に、
十種(とくさ)の神宝(かんだから)が秋田の物部氏に伝えられたことが書かれている。
十種の神宝とは、「オキツ鏡」「ヘツ鏡」「十握の剣」「生く玉」「足る玉」「死返しの玉」「道返しの玉」「ヘビのヒレ」「ハチのヒレ」「品々物のヒレ」である。
十種の神宝については『秀真伝』『先代旧事本紀』にも記されている。
カタカムナ

 カタカムナ
  のウタヒ
かたかむな成立年代不明
原本の所在も不明
1949年に書写
カタカムナ文献の本文は(円と直線の幾何学的図形の)カタカムナ文字が縦書きではなく渦巻き状に並んだ80首のウタヒ(歌)である。

ウタヒの内容は日本神話に登場する神々の名を歌詞にして、製鉄法、稲作農業、石器・木器製作、服織、医学、経済活動、哲学などについて記載されているそうです。
フトマニ

  太占

  カクのミハタ
ふとまに成立は漢字伝来以前であるが、最古の写本は江戸時代のもの
『フトマニ』はヲシテ文字(ホツマ文字)で書かれた、占術と関係の深い歌集です。

フトマニは、「モトアケ」と呼ばれる図を基に占うもので、「モトアケ」とは、古代人の宇宙観の象徴で、同心円を中心から放射状に配された線分で区切ったものに、文字を一文字ずつを配したものです。

「太占」と漢字表記することもあるが、「太占」は亀の甲羅をつかった占いであり、ヲシテ文字で書かれた『フトマニ』とは別物だそうです。
契丹古伝

 神頌叙伝
きったんこでん

しんしょうじょでん
十世紀に書かれた東アジアの歴史書
契丹族はモンゴル系遊牧民であるが、916年にモンゴル高原の諸族を併せ、全モンゴルを含む北方帝国を形成した。

『契丹古伝』は、日本・高麗(朝鮮)・渤海・女真・契丹(蒙古)がみな同一祖先から分かれた同胞であることを説き、我々の共通の敵は先祖代々シナであったことを説いた文書だそうです。
宇佐家伝承

 
うさけでんしょう不明 大分県にある、全国の八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祭祀を代々司る宇佐家に伝承された文書といわれます。

伊勢神宮と並び称される宇佐神宮はそのご信託が天皇の即位をも左右する程の重要な神社であり、強大な権力を誇った弓削の道鏡でさえも宇佐神宮のご信託により天皇になれなかった事(道鏡事件)は有名です。

宇佐家では家内の伝承が記紀の記述とは違う事をはばかって、族長の世継ぎが一子相伝の伝承として代々、口述・記憶・暗唱してきたが、中世以降に「口伝書(くでんがき)」と云われる門外不出の極秘文書として残しました。

内容は
宇佐族は島根県の隠岐の島で漁業を中心に生業としていたが、和邇族との取引に失敗して丸裸になってしまった。大国主命に「新しい土地に行って再起せよ」と云われ、大国主命からもらった因幡国八上の地を開拓して成功した。

この地の巫女は八上比売で大国主命の妻となった。(「因幡の白兎」の神話となる)

宇佐神宮は始めは「ウサギ社」と呼ばれたが、いつしか「ギ」が抜けて「ウサ社」となり、「宇佐神宮」となったと伝えられています。

宇佐神宮の33年毎の式年遷宮では、中央の二之御殿の屋根は少しずれているが、位置を動かすことは絶対にまかりならぬと口伝されています。
二之御殿の真下には御量石(みはかりいし)があり、この石を中心に二之御殿が建てられている。この御量石は石棺で、比売大神が埋葬されたそうです。
 等々
東日流外三郡誌

  和田家文書
つがるそとさんぐんし1970年代に、青森県の和田氏 古史古伝の一つといわれ、古代の青森県のほか岩手県、秋田県を含む地域の知られざる歴史が書かれているとされています。

「東日流外三郡誌」は、1970年代に青森県五所川原市の和田氏が、自宅を改築中に「天井裏から落ちてきた」とされる数百冊の古文書で、
その後も和田氏が亡くなるまで古文書は「発見」され続け、
他には、『東日流六郡誌絵巻』『東日流六郡誌大要』『東日流内三郡誌』『北鑑』『北斗抄』『丑寅日本記』『奥州風土記』などが刊行されたそうです

内容は、古代の津軽地方(東日流)にはヤマト王権から弾圧された民族の文明が栄えていた話。
耶馬台国の中に邪馬一国、邪馬二国、邪馬三国があったという話。。
その一族を支配するのは巫女で、火を操るヒミコ、水を操るミミコ、大地を操るチミコがいたという話。
津軽の十三湊は、過去に安東氏政権が蝦夷地に存在していた時の事実上の首都で、 貿易で栄えた。しかし、大津波によって十三湊は壊滅的な被害を受け、安東氏政権は崩壊したという話。
 等々。
天津蹈鞴秘文遍あまつたたらひぶんへん不明 (中臣家を祖とする)九鬼家に伝わる「九鬼文書」とは別に、中臣家に伝わるといわれる 「天津蹈鞴秘文」とは武門宗門の最高極意であるといわれている。
極意に至ると、神々との交霊により超能力や霊能力を発揮できるとされる。、

神武東征に従った天種子命は中臣氏の祖で「天津蹈鞴秘文」の神通力を駆使して天下統一に資したと云う。

神代文字じんだいもじ
かみよもじ
上古の日本に独自文字が存在したという見解はあったが、神代文字が「発見」されたのは近世になった後だそうです。神代文字は漢字が伝わる以前の日本にあった、日本語を表記する固有の文字のことで、

『豊国文字(神宮文字)』
『ヲシテ文字(ホツマ文字)』
『阿比留文字』
『出雲文字』
『阿波文字』
『阿祖山文字』等
の文字が確認されています。 

 
豊国文字

  神宮文字
とよくにもじ 『上記』や『竹内文書』等に用いられている神代文字の一つで、日本語の五十音に対応しています。

「古体象字」と「新体象字」の2種類が存在し、このうち特に新体象字についてはカタカナと同じ形の文字が見られるため、カタカナの起源とする説もあります。
『竹内文書』では神々や天皇の名を記す際に豊国文字が使われているそうです。

豊国文字は近代になった後に創作された文字では無いかと、言われ続けて来ました。

しかし、昭和31年に宮崎県の高千穂の「天岩戸神社」で「岩蓋」と呼ばれる石棺の蓋(弥生時代後期のもの)に豊国文字が書かれている事が見つかり、その内容が(記紀に書かれていた事とは異なり)『上記』に書かれていた事と同じだった事から、研究者の間では、"豊国文字の古代からの存在"と"『上記』は後世の捏造では無い" との見方が増えている様です。

また、この豊国文字と同じ文字が熊本県阿蘇郡の神社のご神体の石板から見つかり、その石板を「炭素年代測定」法で分析すると、なんと20万年から30万年も昔の石板である事が判り、豊国文字の超古代からの存在や九州に高度な文明が存在した等の証拠ではないかと考えられています。
ヲシテ文字

  ホツマ文字
  秀真文字
  伊予文字
おしてもじ 『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』を記述している文字で、この3文献は「ヲシテ文献」と呼ばれています。

「ホツマ文字」とも呼ばれ、 漢字伝来より遥かに昔の縄文時代から日本列島で用いられていたといわれています。  但し、現時点では、縄文土器などの土器や遺物からヲシテの文字や文を記したものは確認されていません。
阿比留文字
  日文真字
  日文四十七音
あひるもじ 対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字で神代文字の一種。

出雲文字いずももじ 出雲の石窟で発見されたと伝えられる神代文字の一種。 
阿波文字あわもじ 神代文字の一種で、日本語の五十音に対応しているが、「ん」に相当する文字は存在せず、濁音や半濁音を表す文字も存在しない。
阿祖山文字あそやまもじ 鎌倉鶴岡八幡宮宝庫および河内平岡宮と泡輪宮」にあるという神代文字。

「宮下文書」と同内容の『開闢神代暦代記』に掲載されているともいわれる古代和字で、最も古い古代和字の部類に入るものであるが、符牒的文字に止まり,未だ文章として綴られる段階のものではないともいわれます。
 



上記の情報は市販の書籍やWebで検索した多くの情報を参考にして整理したものです。
また、筆者は神代文字は読めません。

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