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御詠歌の起源は、花山法皇(968-1008)の西国巡礼にあると言われています。
ですから、御詠歌は流行歌や民謡などとは異なり、仏教の信仰心と共に在るものです。 |
五・七・五・七・七の和歌(三十一:みそひと文字)に節をつけたものを「御詠歌」、 七五調または五七調の詩に節をつけたものを「和讃(ご和讃、御和讃)」と言いますが、 この二つを合わせた総称も広い意味で『御詠歌』と言われています。 (ちなみに、お経に節をつけたものは「声明(しょうみょう)」と言われています。) |
御詠歌の歴史
御詠歌の起源は、花山法皇の西国巡礼にあると言われ、西国三十三観音巡礼の歴史は古く奈良時代までさかのぼります。
約270年後、それまで途絶えていた観音巡礼を再興されたのは「西国札所中興の祖」と呼ばれる花山法王でした。
花山法王は17歳で第65代花山天皇となられますが、在位わずか二年で皇位を退き、寛和2年(986年)19歳の若さで法皇となられました。
そして那智山青岸渡寺を一番札所と定めて「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝つせ」の1首を奉納されました。これが御詠歌の最初と言われています。
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西国三十三観音の御詠歌はその巡拝時に花山法皇が全ての和歌を作られ、お寺に奉納されたものだそうです。
後に、参拝者が和歌に簡単な節を付けて唱えだしました。これを当初は「巡礼歌」と呼ばれ、江戸時代には広く歌われていた様子ですが、この頃には統一された節は無く、録音などの出来ない時代の昔の節は口伝えと思われますから、各札所や巡拝の長い道中で各自各自が自分達の覚えた節で、ほとんどバラバラに唱えていたのだろうと思われます。
その様なバラバラに存在した
その後、大和流や妙音流を基に更に理論的に整然と編纂された金剛流御詠歌(高野山真言宗)が作られ、「御詠歌」が各宗派に広まっていきました。 |
札所とは花山天皇が西国三十三観音の第三番粉河寺に参詣されたおりに、歌を詠まれた一首を札に記し手向けられたのが御札の始まりと言われており、
札所の語源も「札」を納める「所」からきているそうです。
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観音巡礼は始めは僧侶の修行として広まったのですが、室町時代後期になると一般の民衆にも深く浸透するようになったそうですが、この頃には関東でも既に坂東三十三観音、秩父三十三観音(後に1寺加えて三十四観音)などの霊場が開かれていました。
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