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宗教としての御詠歌のルーツ |
御詠歌の起源は、花山法皇(968-1008)の西国巡礼にあると言われています。
ですから、御詠歌は流行歌や民謡などとは異なり、仏教の信仰心と共に在るものです。
その仏教の起源は、『日本書紀』によれば、日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代の欽明天皇13年(552)だそうです。 日本では、仏教伝来以前から古来の神々が信仰されていましたが、 仏教が伝えられると、仏教を積極的に受け入れようとする側と受け入れに反対する側とに分かれました。 仏教を受け入れようとする側の代表は、渡来人系の蘇我(そが)氏で、受け入れに反対する側の代表は、物部(もののべ)氏でした。 仏教の受容を巡る問題は、豪族間の権力争いと共に激化しますが、蘇我氏の勝利となり、親仏派の蘇我氏が勝利したことで、仏教は急速に普及していき、その後に聖徳太子は「十七条の憲法」を制定し、その中で仏教を儒教と並んで政治の基本精神に据えました。 以上、宗教から考えると、御詠歌のルーツは552年の日本への仏教伝来なのかもしれません。 また、その日本の仏教のルーツは、 紀元前6世紀ごろにインド北部ガンジス川中流域で、 釈迦が提唱して生まれた仏教がルーツになります。 |
なお、花山法皇に注目して考えますと、 だまされて出家して、京を追われた花山法皇(968~1008)は熊野に向かい、 安倍晴明(921~1005)を呼び寄せて、那智の滝の上流にある「二の滝」近くに庵を結び、千日の修行をしたと伝えられています。 (二人とも、前世では大峰山の修験行者だったそうです。) (また、若い頃より花山法皇は若い頃から和歌や芸術に秀でた才能を発揮しておられ、熊野への途中でも幾つかの和歌を作る程だったそうです。) 那智での修行により花山法皇の験力は高まり、熊野権現の中堂で行われた験比べでは相手の験者を圧倒するほどの験力の強さを示したと伝えられています。 一千日の修行を終えた花山法皇は、西国三十三ケ所観音霊場巡礼の旅に出、各地で歌を詠んだ。それが御詠歌のはじまりで、那智山の青岸渡寺(せいがんとじ)は三十三ケ所巡礼の第一番札所となりました。 この様な花山法皇の行動から考えますと、御詠歌のスタートの根本は仏教では無く、 法皇の中での御詠歌のルーツは(仏教より古くから存在する)熊野や那智での山岳信仰の修行だったのではないかと思われます。 |
関連リンク |
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