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シュメール人の謎

最新のDNA解析からは、紀元前(BC)2000~紀元前(BC)1000)頃に日本列島に渡来人集団がやって来た形跡があるそうです。 しかし、その集団は時期的に北イスラエル王国の『失われた10支族』ではありません。

また、時期的にほぼ一致する紀元前(BC)17世紀頃には(ユダヤ人の始祖と言われる)アブラハムはメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発しましたが、日本を目指していません。



世界の四大文明と呼ばれているものは以下の4つです。
(1)最も古い文明は紀元前(BC)3300年~紀元前(BC)2500年にメソポタミア文明が始まった。
(2)紀元前(BC)3100年頃にエジプト文明が始まった。
(3)紀元前(BC)2600年頃にインドのインダス文明が始まった。
(4)紀元前(BC)1700年年頃に中国の黄河文明が始まった。

しかし、 シュメール文明と言われる文明はそれらより古く存在し、初期のメソポタミア文明ともされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。

シュメール人は元来メソポタミア地域の原住民ではなく、紀元前(BC)3500年ごろ、どこからともなく(東方から来たとの伝承あり)この地に現れると、高度な文明を築き上げ、集落スタイルから村落へ、そして、現代のような都市国家(キシュ、ウル、スサ、ウルク、ラガシュ等)を形成していったそうです。そして、紀元前(BC)2000年頃に突然消え、何処へ行ったのか今も全く判らない謎の民族です。

シュメール人は、初めて文字を持ち、暦の正確さと60進法の確立、高度な医学の知識や法体系、さらに天文学の知識は驚くほどで、現人類が200年程前まで存在を知らなかった天王星、海王星、冥王星を5000年前のシュメール人は知っていました。

また、粘土板に書かれた古文書がシュメール各地で見つかっており、
そこには、「ニビル」という惑星から、惑星を守る為に黄金(Gold)を求めて地球に来た異星人「アヌンナキ」が、黄金採掘の労働力を必要とし、「アヌンナキ」と地球にいた原始人の遺伝子を掛け合わせ、人間(ホモ・サピエンス)を創りだした様子が書かれています。
(DNA解析から人類の誕生はアフリカである事が解っていますが、金埋蔵の多いアフリカで黄金採掘の労働力として人間が創られた、とすると納得できるような気もします。)


シュメール人は言語も(日本語やトルコ語やアルタイ語等と同じ) 膠着語 だったと言われており、 メソポタミア周辺のセム系の言語とは全く異なっていて、 この事も、シュメール人がメソポタミアに突然現れたと考えられる要因のひとつとなっています。

この様に、シュメール人はどこから来たのか、なぜ高度な知識を持っていたのか、 なぜ突然消えて、何処へ行ったのか、全く判っていない謎の民族です。




イスラエルの祖であるアブラハムは元々シュメール文明のあったウル出身の人で、紀元前(BC)1700年頃にカナンの地へ移動しましたが、
(想像ですが、もしかすると)ウルの地に住む他の人や別の都市国家の人達も、他民族の侵入以外にも、その地に住み続けられない様な(大洪水等の天変地異か)何かが起こっていて、
紀元前(BC)2000年頃から人々が次々と他の地に移動して行った可能性があります。
アブラハム一族もシュメール人が消えたのと同じ理由でウルの地からカナンの地へ移動したのかも知れません。

そして、シュメール人の一部は、日本へ渡ったのではないかとも言われています。

(シュメール神話には、シュメール人は東方からメソポタミアの地に来た、という伝承がありますので、もしかすると、紀元前(BC)3500年頃に(縄文時代の)(海の幸・山の幸が豊富で、争いの無い)日本から来たシュメール人が紀元前(BC)2000年頃に(争いの無い)日本に向かって帰っっていったのではないかとも、考えられます。)
(また、他の地へ向かったアブラハム一族らのシュメール人の血を引く人達もシュメール神話の中の東方(=争いの無い日本)の話を伝え聞いていて、それが”北イスラエル王国の『失われた10支族』が東方の端の島に向った”史実に繋がったのではないかとも、考えられます。)

シュメール人の一部が日本へ渡ったのではないか と考える理由は、偶然と言えない位に、シュメールと日本にはたくさんの共通点があるからです。

◎言葉

シュメール語と日本語は、ともに膠着(こうちゃく)語と分類されるそうです。
膠着語とは、「○○を」「○○に」「○○が」のように、単語に「を、に、が」など助詞をつける言葉だそうです。

なお、シュメール周辺のセム民族系の言語には、膠着語に類似する言葉は全く使われていなかったそうです。
(日本語も近隣諸国の言語とは全く異なっています。)
また、膠着語は日本語やトルコ語、アルタイ語、朝鮮語 以外には殆どの国で使われていないそうです。

◎天皇、皇室

天皇の古語は、すべてシュメール語で解釈できるそうです。

日本の古語で、天皇や皇族を、「スメ(皇)」や「スメラ(天皇)」「スメラミコト(天皇)」と言います。 シュメール語では、「スメ」は「神」という意味で、天皇=神ということになり、スメル国というのは漢字で書くと「皇国」となり、「神の国」という意味になるそうです。
また、「スメラギ」は、「スメル(Sumer)」の複数形だそうです。

また、「ミコト(尊、命)」や「ミカド(天皇)」は、「Migut(ミグト)」が訛って、変化したもので、「天降る開拓者」を表し、それはすなわち「神」を意味しているそうです。

◎菊花紋

通称「菊花紋」「菊の御紋」と呼ばれる十六八重菊花紋は、日本の天皇や皇室を表しますが、 シュメールから出土した粘土板にも、菊花紋が描かれており、シュメール王朝時代の王族の紋章だそうです。

◎三種の神器

三種の神器とは
◾「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」
◾「八咫鏡(やたのかがみ)」
◾「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
のことです。

これは、シュメールや古代バビロニアの三種の神器である
◾「武神のシンボルの剣」
◾「日像鏡」
◾「月像の首飾り」
と大変似ています。

さらに、日本の神話には8つの首を持つヤマタノオロチを退治したときに、「草薙の剣」を得たという話がありますが、
シュメールの神話にも、7つの首を持つ龍を退治して、剣を得たという話があるそうです。

これらを考えると、日本の三種の神器はシュメールの三種の神器と似て、神話まで似ています。




私は紀元前(BC)2000~紀元前(BC)1000)頃に日本列島にやって来た渡来人集団はシュメール人以外には考えられません。
シュメール人が出雲族となり、


出雲族が日本海側を中心に日本列島を平定し、『10月は各地の長(神)が出雲に集まる為に全国では神無月と呼ばれ、出雲では神有(あり)月と呼ばれる。』 等、現在にも伝わっています。

古事記や日本書紀に出雲に関する記述は(大国主命など)多く書かれています。



竹内文書

日本の古史古伝の一つに『竹内文書(たけうちもんじょ)』という古文書があります。武内宿禰の家に伝えられた日本の古史が書かれているそうです。

文書の中には”イスス・キリストの墓が青森県の戸来村に在る”等が書かれており、偽書と言われる事が多い古文書ですが、 その竹内家に伝わる話ではシュメール神話とそっくりな古史も伝えられているようです。

今から1万2000年ほど前、世界各地で大洪水が起きた後、最初の文明を築いたのは日本であったそうです。「縄文文化」と呼ばれ、世界最古の文明であったそうです。

やがて最初の文明を築いた人たちは世界中に散って行き、文明を広めて行きます。
日本から大陸に渡った人たちの中には、のちに出雲族となるグループと、のちに大和族となるグループがいました。
彼らは別々のルートでメソポタミアにたどり着き、合流し、太陽を信仰するスメル族、すなわちシュメール人と呼ばれ、そこに古代文明を築きます。

シュメール人の最大都市はスサと呼ばれ、スサの王をスサノオと呼んだそうです。スサノオは政治・軍事をつかさどる王として君臨し、のちにこの政治・軍事グループは出雲族となります。一方、それとは別に祭司をつかさどる者たちをスメラミコトと呼んだそうです。スメラミコトの祭司グループはのちに大和族となります。

そのあと、突然シュメール人たちは姿を消すのですが、どうやら一部は中東まで行きユダヤとなったグループ(ユダヤ人の始祖アブラハムの集団?)もいたみたいです。
なぜシュメール人たちは、メソポタミアの地を去ったのか。
砂漠の地方では自然は人間に敵対するものでしかなく、自然と共生する古神道的な理想とは程遠い事に失望したシュメール人たちは、再び二手に分かれて日本に戻ることにしたのだそうです。

スサノオのグループ(後の出雲族)は陸路日本へ向かい、北九州に上陸します。一方、スメラミコトたち(後の大和族)は、海路日本に向かい、九州の南にある高千穂に上陸しました。そしてそれぞれのグループは、当時日本にいた「原日本人」たちをどんどん征服していくんですね。

やがて紀元前4世紀ごろ、この二つのスメル族のグループの間で戦いが勃発。一進一退の攻防が続きます。そのころの出雲族は日本海側を支配、大和族は瀬戸内海を海路東進し、近畿地方に入ります。一時は出雲族スサノオと大和族アマテラスの間で政略的な結婚をするなどして和睦がありますが、大国主の息子の事代主が王の時代に再び戦争となり、大和族が出雲族を制圧し、大和朝廷が確立します。

敗れた出雲族は関東・東北地方に逃げ、のちに蝦夷(エゾ、エミシ)となります。 最初から日本にいた人たち(縄文人、原日本人)は、山窩(サンカ:大和朝廷の支配を嫌って別れた古い部族集団。漂泊民)となりました。

(以上、ネットで得られた竹内文書の竹内家に伝わる話に関する情報です。)

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