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(縄文時代から見た)

太古からの
日本とユダヤの年表


地球誕生  (46億年前)
先カンブリア時代(46億 - 5億4200万年前)
古生代(約5億7000万 - 約2億5000万年前)
中生代(約2億5000万 - 約6500万年前)
新生代(約6500万年前 - 現代)
猿人 (約600万年前~約130万年前)
猿人の厳密な定義は無い。約600万年前にアフリカ大陸に出現し、約130万年前まで生息していただろうと考えられる初期の人類。
原人 約150万年前~約20万年前)
原人の厳密な定義は無い。ジャワ原人、北京原人等。
旧人類 (約20万年前~約2万年前)
ネアンデルタール人、デニソワ人等。ネアンデルタール人は、ヨーロッパ大陸を中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。
新人類 (約4万年前~現在)
ホモ・サピエンス

日本列島では

12万年前に 日本で石器が使われていた。 <=島根県出雲市砂原遺跡

3.2万年前に 日本で那覇市の第一洞穴で人骨発見(1968)

3万年前に 日本で加工した石器(磨製石器)が使われていた。 <=群馬県みどり市岩宿遺跡

2万年前に 日本で静岡県浜松市で(浜北人)人骨発見


<<縄文時代は弥生時代の前に約1万年(1万5千年?)続いたと言われており、人が争った跡が全く無い平和な時代だったようです。>>

1万6500年前には 日本で世界最古の土器がつくられた。

1万3000年前には 日本で人の形をした土偶がつくられた。 (女神像) 土偶:3000万体出土

1万2500年前には 日本で漆が栽培され使われていた。 (福井県若狭町鳥浜貝塚)

約1万年前に 日本列島が大陸から分離

約7,300年前に 鹿児島県の鬼界カルデラの大噴火

紀元前3500年頃 青森県:三内丸山遺跡の大規模集落




ユダヤ 日本列島
予備知識として

世界の四大文明と呼ばれているものは以下の4つです。

(1)最も古い文明は紀元前(BC)3300年~紀元前(BC)2500年にメソポタミア文明が始まった。

(2)紀元前(BC)3100年頃にエジプト文明が始まった。

(3)紀元前(BC)2600年頃にインドのインダス文明が始まった。

(4)紀元前(BC)1700年年頃に中国の黄河文明が始まった。


しかし、

シュメール文明と言われる文明が四大文明より古くから存在し、初期のメソポタミア文明とも言われ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。

シュメール人は元来メソポタミア地域の原住民ではなく、紀元前(BC)3500年ごろ、どこからともなく(東方から来たとの伝承あり)この地に現れると、初めて文字を持ち、暦の正確さと60進法の確立、高度な医学の知識や法体系、さらに驚くほどの天文学の知識等の高度な文明を築き上げ、集落スタイルから村落へ、そして、現代のような現代のような都市国家を形成していったそうです。そして、紀元前(BC)2000年頃に突然消え、何処へ行ったのか今も全く判らない謎の民族と言われています。



古代イスラエルの歴史

『旧約聖書』によると、

紀元前(BC)17世紀頃に(ユダヤ人の始祖と言われる)アブラハムがメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発した事からイスラエルの歴史が始まります。  
 

アフリカで発生した新人類(ホモサピエンス)が 「出アフリカ」(アフリカで発生した人類が、欧州やアジア等へ向かってアフリカを出た)の後に、

早期に分岐した集団の内で、マンモスを追ってシベリアやバイカル湖などを通って、4万年前~4000年前の旧石器時代に(当時は陸続きだった)日本列島へ到着した原日本人が日本中に南下して、移動生活をしていたそうです。

   (私的疑問1)



縄文時代:2万年前~3000年前 (=紀元前(BC)180世紀~紀元前(BC)10世紀)
(縄文時代は弥生時代の前に約1万年(1万5千年?)続いたと言われています。)




1万6500年前に日本で世界最古の土器がつくられました。

1万3000年前に日本で人の形をした多くの土偶がつくられました。

遺跡から判断すると、縄文時代の人の骨には傷が無く、人が争った跡が全く見つからないそうです。

また、縄文時代は移動生活では無く、定住生活をしていたようです。

(縄文時代の土偶のあの複雑な模様をみると、移動しながらや、人に追われながらの生活では絶対に造れない程の繊細さです。定住して、誰にも襲われる心配の無い、静かな安定した生活だからこその、土偶の繊細さだと思われます。)
(また、例えば青森県では採れる筈の無いヒスイ(新潟県)や黒曜石(東京:神津島など)などが遺跡から発掘される事から、縄文時代には舟による海沿いの交易が盛んに行われていた事は間違いない様です。)

約7,300年前の 鹿児島県の 鬼界カルデラの大噴火による火山灰は東北地方にまで及び、九州地方・四国地方は壊滅し、西日本一帯の縄文文化が途絶えたと言われています。 (一説には当時26万人程あった日本の人口が、7万人にまで急減したそうです。)

日本列島の他の地域も降灰の影響で日照を遮られ、平均気温が何度か下がって作物が育たず、人の住める様な所では無くなった為に、当時の縄文人は日本を離れて世界各地へ散って行ったと言われています。勿論、死んだ人も多かったと思われます。

日本を離れた縄文人は北米や南米に縄文土器などの痕跡を残しており、アメリカインディアンやマヤ文明を作ったのは縄文人であると云う説もある程です。

また、謎のシュメール文明も”4大文明の前にメソポタミヤの地に突然現れ、周辺の言語と全く違う日本語に近い言葉を話し、高度な文明を開化させ、突然消えた。”と言われていますが、シュメール文明の発生時期が鬼界カルデラの大噴火の後の縄文人の移動後と、ほぼ一致します。


   (私的疑問2)

縄文人はのちに大陸からの渡来人と混血しましたが、現代日本人も縄文人のDNAを 引き継いで持ち続けているそうです。



アブラハムの子孫がエジプトに移住するが、やがてエジプト人の奴隷となり、奴隷の時代が400年程続きました。

紀元前(BC)13世紀頃に モーゼ がアブラハムの子孫の息子12人の12部族をエジプトから連れ出し (出エジプト) 、シナイ半島を放浪し定住し、200年程かけて一帯を征服して行きました。


(古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の褐色の人種で、背は低かったそうです。)


最新のDNA解析からは、縄文時代に渡来人集団がやってきた形跡があるそうです。

4000年前~3000年前(=紀元前(BC)2000~紀元前(BC)1000) に日本列島の南側(本州と九州)に渡来人集団がやって来ました。

(この事を出雲地方の伝承やDNA解析および記紀神話に照らし合わせると、この縄文時代の渡来人の集団は中東から来た可能性が高いと推測され、(『出雲族』と呼ばれる)この渡来人集団は(日本海側を中心に)日本で最初に王制を始めたそうです。)

(最新のDNA解析によると、『出雲族』の遺伝子型は縄文系のD1bとなるそうです。 D1b遺伝子は日本人特有の遺伝子で、北海道から沖縄まで、日本列島の津々浦々まで均等に分布しているそうです。)


渡来人(出雲族)はどこから来たのか

[ シュメール人の謎 ]


その後、ダビデ王(紀元前1004年?‐紀元前965年?)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされました。

次のソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)の死後に強権政治に絶えられずに北部の部族は離反して北王国(イスラエル)を立てました。

これによってイスラエルは北王国(10部族)と、王を輩出してきたユダ族やベニヤミン族の南王国(ユダ王国)(2部族)に分裂しました。

弥生時代: 紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃

弥生土器付着の炭化米の測定結果から弥生時代は紀元前10世紀に始った事が解った。
2世紀末畿内に倭国が成立し、3世紀中頃古墳時代に移行した。
紀元前(BC)722年に北王国は同じセム語系民族であるアッシリアにより滅ぼされ、10部族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行されました (アッシリア捕囚)。

サルゴン王の碑文によると虜囚の数(北王国の全人口の約20分の1程度)は2万7290人で、その虜囚以外の約52万人(北王国の全人口の約20分の19程度)の行方が判らず、南王国の2支族によって 「失われた10支族」 と呼ばれました。

アッシリアの攻撃による北イスラエル王国の崩壊(紀元前722年)により難民となったイスラエルの民は、東方にしか逃げ道の無い絶望の中で、預言者 イザヤ の(古代の自分達の祖先が日本へ渡ったことの伝承による) 「 東方の端の島で神をあがめよ!お前たちはそこで救われる。 」 の預言を聞き、何十万人のイスラエルの民(失われた10支族)は東に向けて大陸を移動しました。


イスラエルの「失われた10支族」は預言者イザヤの

「東方の端の島で神をあがめよ!」

の預言を聞き、東に移動した



「失われた10支族」の民は「東方の端の島」を目指しますが、直線距離でも約1万キロも離れた遥か遠い地に、数十万人の人が同時に到着したとは決して思えません。

中には、強行軍で最短日数で到着したグループもいたかと思われますが、

(想像ですが、食料を確保する必要がありますので)殆どの集団は移動しながら、その地で生活をしながらの移動だったと思われます。
中にはある土地で居着いてしまう人達もあったと思います。

また、道を間違えて、シベリヤから北米・南米へと行ってしまったグループもあっただろうと思われます。




預言者イザヤがイスラエルの民に「東方の端の島で神をあがめよ!」と言った理由は:占いや祈祷で浮かんだご神託でしょうか?

(もしかすると)古代に自分達の祖先が日本へ渡ったという伝承を聞いていたのでは無いのでしょうか。
紀元前(BC)17世紀頃に(ユダヤ人の始祖と言われる)アブラハムがメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発する前の紀元前(BC)2000年頃にシュメール人は同じメソポタミアの地から突然消えています。

また、シュメール人は紀元前(BC)3500年頃に東方からメソポタミアの地に来たとの伝承があります。 預言者イザヤはそれらの伝承を聞いていて、民衆に「東方の端の島・・・」と言ったのではないでしょうか。





その後、弥生時代へ移行するきっかけともなった第2の(中国や朝鮮半島を経由した)大量の渡来人が、九州から列島の中央部へと広がりました。


渡来人の移動の時期は日本神話のイザナギ・イザナミの国土創造の時期とほぼ一致します。

(日本神話のイザナギ・イザナミとは古代ユダヤ語では

イザヤの子と言う意味で、ギは男、ミは女を意味するそうです。)



日本書紀によると日本の初代天皇の神武天皇即位は紀元前660年です。

神武天皇即位は紀元前660年で、

北イスラエル王国の崩壊後の、およそ60年後のことです。


(日本の神話で神々が住むという「高天原」はユダヤ人の始祖アブラハムの生まれ故郷の「タガーマ・ハラン」。(メソポタミア文明発祥地付近の地名)に酷似しています。)

(この時の渡来人には物部氏と徐福が含まれていると思われます。)

(徐福は稲作を日本に伝えたと言われていますが、稲作による土地の所有物化が、日本列島の豊かな自然の恵み(=神の恵み)の中で静かに共存していた原日本人や縄文人を追いやり、支配して、争いの多い弥生時代になっていったと思われます。)

(考えて見れば、イスラエルの「失われた10支族」も地元では何度も戦い、戦を経た後に王国を作り、また誰かに攻撃されて、を繰り返してきた集団です。また、途中から渡来に加わったと思われる中国・朝鮮の人たちも、日本に渡来して来ても先住民(縄文人)と戦うのは当然だっただろうと思われます。)

(物部氏は石上神宮等の物部神道を形成し、武術者、技術者集団であり、紀元前から日本の中核にいたと言われ、”武士=もののふ”の語源とも言われています。 )


出雲地方の「国譲り神話」は ”日本で最初に王制をはじめた出雲族が第2の渡来人の大和族との権力争いに敗れて、国を追われた事実” が今に伝えられていると思われます。敗れた出雲族は越(北陸)から東北に向かったと言われており、DNA解析でも出雲と東北は共通点が多いそうです。また、長野県の諏訪地方や更に関東方面にも向かったと言われています。

南王国の2支族は、その後、紀元前(BC)586年にセム語系民族の新バビロニアに滅ぼされ、支配者階級は捕囚として連行された (バビロン捕囚

その後、紀元前(BC)539年に新バビロニアがペルシアによって滅亡すると、ユダヤ人は解放された。

紀元前(BC)27年 ローマ帝国成立

紀元前(BC)4年 イエス・キリスト誕生

その後、南王国の2支族は何度も紆余曲折を経て、1948年に現在のイスラエル建国に至っている。

紀元(AD)57年 倭の奴国王が後漢に使いを送る
紀元(AD)239年 卑弥呼が魏に使いを送る


紀元(AD)3世紀  秦氏 集団が渡来

(キリストの教えを直接受けた)原始キリスト教徒(景教徒)のユダヤ人である秦氏(南イスラエル王国の2支族系)が「失われた10支族」を追って、中国の西に 弓月の国 を建国してしばらく留まった後に、日本に渡来した。


原始キリスト教徒の渡来人 秦氏 (南王国の2支族系)

日本全国の「八幡神社」・「稲荷神社」の建立に深く関わった


紀元(AD)552年 仏教伝来

  蘇我氏と聖徳太子が仏教を導入した際に、
  物部氏は神道を守って仏教導入を阻止しようとしたが敗れた。


紀元(AD)645年 大化の改新

  しかし、蘇我対藤原の戦い(大化の改新)で、藤原氏が勝ち、神道派が復活した。
  そして、仏教文化は後の平安時代に花開いたと言われています。


紀元(AD)701年 大宝律令 

  (日本の国の骨格が出来た。)

  (この時に出来た五畿七道の国:令制国は日本の地理的区分の基本単位となり、
   以降、明治以降の都道府県制まで、平安時代~江戸時代は変更が無かった。 )
  (日本人の姓の漢字2文字もこの時に決められた。)



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